4月17日の長崎新聞・声~みんなのひろば~では、パートの久保 千羽(38)さんが「旅立つ祖母がくれた贈り物」を投稿していました。
記事によると、10日ほど前の4月6日に自宅の方で往生されたそうです。2月頃から体調が悪化してしまい、歩行も困難になったそうです。3月中旬にリハビリ目的で入所されたそうですが、食欲が戻ることはない中で、本人の希望もあり、自宅に戻ることが許されたそうです。今日、明日かもわからない状態だったそうですが、家に帰ると、笑顔になり、子どもや孫の名前を呼び、ご自身で水分を採れるまでに回復されたそうです。それから一週間、投稿者である久保さんが面倒をみたそうですが、大好きだったおばあちゃんと一緒に過ごす事ができ、とても有意義でかけがえのない時間であったそうです。そして、最後には、家族に見守られながら息を引き取ったそうです。まだ幼い娘と息子も居たそうで、大好きな曾祖母が死ぬ瞬間を見せてくれたことは、「命」をもっての大切な贈り物だと思えて成りません。と記事に書かれておりました。
医療が進んでいる現代においては、病院で生まれ、病院で死を迎えることが大半であり、家に帰りたくても帰れないこともあります。そんな中、自宅で大好きな家族に見守れながら死を迎えることができることは、亡くなる方にとっても嬉しい事だと思いますが、それと同時に、死を見守る家族にとっても大切なことなんです。それは、タイトルの通り「命」を知れるからです。
生まれてくるものは必ず死を迎えなければならない。
これは普遍であり、おそらくこの先も変わることがない真実です。仏教の開祖・お釈迦様(仏陀)も、この真実を目の当たりにして、解決方法を探しに出家したと伝えられています。学校の授業では体得することができないことを、身をもって表してくださったことは、本当に大切な贈り物だと思います。受け取った子どもたちも、何らかを感じ取ったことがあると思いますので、大切につないでいって欲しいものです。
※注意
これは私が日々の生活の中で、感じたことを自由にお話にさせて頂いております。
宗教上の違いや、個人での捉え方にも違いがあることがあります。
また、編集の際に気をつけておりますが、誤字脱字があるかもしれません。
予めご理解いただきますようお願いいたします。
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